『セカイ系とは何か』

セカイ系と何か』は大体読み終わって、twitterに感想らしき物を書いたのだが、それに加筆する形で、再構成してみた。


セカイ系とは何か』は大体読み終わった。若干違和感もあるが、面白かった。セカイ系という概念の生成から現在までを描いた思想史というところか。特に、セカイ系という言葉において最初のポスト・エヴァという文脈がいつの間にか消えてしまったというのは、その通りだろう。確かに、思い出すと、ゼロ年代の前半まではそれで動いていたわけだし。そこら辺の事情を丹念に追っていて、説得力もある。
 違和感というのは、多分、世代的な物もあるかもしれない。それは、私のような団塊ジュニアは、オタク世代論だと、第二世代だが、その最後なので、第三世代的でもあるという点だろう。東浩紀もまさに同じ世代なので、エヴァとかセカイ系に対して両義的ななのはそのせいかもしれない。これは第二世代が昭和40年代生まれで、『ヤマト』、『ガンダム』世代で、第三世代が昭和50年代生まれで、『エヴァ』、声優、ゲーム世代になるという議論である。
 セカイ系に関しては、私自身の記憶だと、イリヤなどよりもブギーポップを言い表している言葉のように思えた。しかし、ブギーポップは確か、最初の1,2冊しか読んでいないが、電撃hpなどの連載で読んだ限りだと、セカイ系らしさはいつの間にか消え去っている。そういえば、消えてしまったブログにセカイ系について何か、書いた覚えがある。内容は、確か、設定を細かく追加していくと、ライトノベルのシリーズ物の場合、1巻目はセカイ系でも、続いている内にそうでなくなってしまうとか。この点は、217頁にも書いてあるように、セカイ系の代表的な作品は割と短めで、メディアミックスには向きにくいそうである。ブギーポップはどうなのかというと、後の方になると、MPLSの合成人間とかが大量に出てきて、闘う話になっており、設定もかなり細かく、さらには同じ作者の他の作品ともリンクしている訳で、気が付くと、全くセカイ系ではなくなっていた。
 もう一つの違和感は、この手の話の場合は必ず、そうなるが、ポスト・エヴァでどれだけ語れるのかという点である。
 この本は、丁寧にセカイ系という概念を説明しているのだが、それによって、『ゼロ年代の想像力』のような話をかなり相対化しているという点は評価出来るであろう。それは、やはり、作品論をきちんと押さえているからだと思う。セカイ系という概念を使う際には、これからはこの本を何らかの意味で参照するのが便利だし、必要になって来るであろう。