ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

ようやく、Qを見てきた。

実は、序と破は見ていなかったので、先に序と破のBDを見た。というわけで、最初に序と破の感想を少し書いておこう。

 序は大体、テレビと同じだが、その時とは結構、感想が違うのに驚いた。一つは、いつの間にか、時代の方が追い付いてしまったと言うことである。災害(使徒襲来)と避難や復旧、暴走あるいは制御出来ない技術(エヴァ)というのは、ごく最近の話でもある。放映当時は世紀末に引っ掛けた話と言うことで、全くのフィクション的にも思えていたのだが、何か違うように感じられる。例えば、使徒が来るたびに、第三新東京市においては避難をし、使徒に備えるために大量の物資が動員され準備を行っている。現実はこれほど整然としているわけではないが、地震原発事故により、似たような状況は具現化している。
 さらに問題なのは、エヴァの世界というのは、一見、日常があるように見えて、それも確かに日常ではあるが、常に例外状態(非常事態宣言)にあるような世界であること。テレビの時もそうなのだが、放映時はあまり、気が付かなかった。しかし、現実も、失われた二十年というのはそれに相当しそうだ。Qになると、ほとんど世界が壊れていて、こちらは日常すら失われているが、例外状態が継続しているのは確かである。と言うわけで、95,6年の放映当時は、全くの空想的な設定だったはずが、今や、現実の方が近付いてしまったように思える。バブル崩壊以降、また、景気は良くなるとずっと言われ続けているが、さして良くならないどころか、リーマン・ショックによって、常態化している。北朝鮮のミサイルやら、尖閣諸島の問題により、国際政治面もきな臭くなって、緊張が高まったままである。
 放映時はまだ、バブルの雰囲気を引き摺っていたのは、ミサトやリツコの私服からよく分かる。テレビ放映時は、バブル崩壊からそんなに日が経っていないので、割と普通に思えたのだが、今見ると、そうでもない。Qになると、完全にそういった雰囲気が一掃されてしまっている。むしろ、現実に対応した厳しい話になっている。

 もう少し別のレベルでみると、シンジの話というのは父親との関係で、少年の自立とかそういったテーマであるのには変わりはないけど、どうも、ブラック企業で強制的に働かされている若者の話のようにも思える。と言うわけで、逃げ出したくなるのも当然だろう。Qでも、ろくに説明を受けないままなので、うっかり、ネルフに戻ってしまうが、結局は同じだったということになる。他方、リツコやミサトはそこで板挟みに遭っている中間管理職で、テレビ版だと、まさに使い潰されてしまう。アスカは、何というかやりがいの搾取みたいな感じで、これもいいように使われている。このレベルで考えても、いつの間にか現実の描写になってしまったような気もする。

 Qを見たら、こういった感想は大体変わらないが、14年というのは、前の劇場版から14年後と言うことでもあるわけで、テレビ版とは異なり、ニアサードインパクト後の酷い状況がずっと続いていることになるが、ここら辺は現実においても長期不況がずっと続いているのに対応しているとも考えられる。

 破は、テレビ版とはある程度違うわけだが、一番大きいのは新キャラの登場だろう。破でマリが登場した理由は、簡単で、アスカがテレビ版のトウジの役割になってしまって、一旦、退場するから、パイロットがもう一人欲しいと言うことである。とはいえ、アスカはテレビ版よりもちゃんとしたメインヒロインになっている。完結していないので、この先どうなるかはもちろん、分からないが、テレビ版よりは、恋愛というか、ラブコメ的なところが機能している。逆に言うと、テレビ版はそこら辺が何故か、壊れていて、アスカも何の役割を果たすのか、よく分からないままになっていた。ただ、新キャラのマリは、今のところ、数合わせ以上の役割は果たしていないようにも思えるが、多少、意味深な台詞があるので、何かあるのかもしれない。
 14年後だけでなく、Qはテレビとはかなりストーリーが異なるけれど、大体、当初の予想される展開の中には入っていると思う。ミサトとリツコがネルフと闘うという展開は、確かに驚くが、逆に言えば、テレビのようにミサトとリツコが使い捨てられる展開では無いと言うことである。むしろ、扱いが良くなっているが、アスカもこの点は同じか。
 破の時の予告と大きく話が違っているが、あの予告がフェイクでないとしたら、テレビとその続きの劇場版と同じく、ゼーレが乗り出して、人類補完計画を巡って、内輪もめに入る展開だったのだろう。しかし、Qではより荒廃した世界で、ネルフは計画を進め、Willeは妨害しようとしている。内輪もめではなくて、明確に敵対している点は重要かもしれない。内輪もめと明確な敵対関係はやはり、意味が異なる。単に例外状態と言うだけでなく、より厳しい関係なのである。
 ただ、ここら辺の序、破、Qの関係は、感想サイトの類を見てみたら、ループだとか様々に解釈されている。完全に否定も出来ないが、さりとて、全面的に賛成もしかねると言ったところではあるが、解釈自体は興味深い。ただし、テレビ版の時に、思わせぶりな設定などによって、一生懸命、謎解きゲームに熱中させられたものの、そんな設定はどうでも良い感じで終わってしまったことによる徒労感は未だに忘れられない。そういう訳で、あまり、深い解釈は自分でしようという気にはそれほどはならないのである。
 破の最後の予告編は、もう一回見直したら、眼帯をしているアスカぐらいしか、Qには登場しない。これに関しては、噂だと2010年位に脚本を書き換えたとも言うので、そのせいかもしれないが、眼帯のアスカは当初の構想だったと考えられる。となると、空白の14年をすっ飛ばして、Qの世界を描いた可能性もある。
 また、予告編とのずれに関しては、微妙にリーマンショックなどの影響もありそうである。すなわち、厳しい世界が舞台となり、また、シンジが戻ってきた14年後のゼーレも荒廃している。世界も人が住んでいそうな感じでもなく、ミサトとリツコ、アスカ、マリ以外は登場せず、トウジの妹が登場するだけで、恐らく、死んでいる可能性も高い。最後の赤い大地も非常に荒涼とした世界になってしまった。
 テレビ版は、上手くまとめられなかったが、今回はそれなりにまとまりそうではある。ただ、ハッピーエンドになるかどうかは分からない。バッドエンドも普通にありそうではある。

問題は次が何時公開されるかだが、来年はまず無いだろう。そうすると、2014年か。2015年になると、テレビ放映20周年になるのだが。テレビ版のBD-BOXはそこら辺には出そうな気もする。

ここまで、感想を雑多に書いてきたが、何とか、無事に完結させて、きちんとまとめて欲しいのは確かである。