けいおん!劇場版

去年中に何とか見たのだが、感想はまだ、書いていなかった。

テレビの続きではあるのだが、卒業旅行と言うことで独立した話になっている。割と淡々とした話だけど、構成は巧みで、これで高校生の話は終わりといった感じになっていた。TV版を見ていれば、まず楽しめる作りにはなっているし、細かいところも良く出来ているし、全体としても満足できるで気になっている。去年、見た劇場版アニメの中では一番出来が良かった。

もう少し、詳しい感想というか、主付いた点を少し並べてみた。第一に、この出来の良さはどこにあるのかという点である。もちろん、細部に渉ってきちんと計算され、クオリティーもコントロールされていた。ストーリー上は、卒業旅行と言うことでロンドンにまで行くことになる。劇場版らしく、ある程度、日常からは切り離されているのだが、内容は修学旅行の話と同じく、テレビ版の雰囲気の延長であり、その意味でも安心して見ていられた。
 第二に、興味深いのは、卒業旅行でロンドンに行くのだが、まるで、日常の延長でしかないという点である。筆者が既にもはや若者ではなくなっているので、まさにそう思うのであるが、これが二十年前とかだったら、海外に旅行ででも行くと言うことはお金が掛かるといった面だけでなく、心理的なハードルも高かったわけで、今とは大違いである。これは日本が豊かになったと言うだけでなく、グローバル化が進行しているからでもあろう。円高と言うこともあるが、気軽に卒業旅行で海外に行けるというのはある意味羨ましい。
 第三に、卒業旅行でロンドンに行く名目は、一応、ロックの聖地だからと言うことになっている。この点はストーリー上は必ずしも、そんなに拘りはなさそうではあるが、アニメの視聴者も唯達と同様に京都やら豊郷やらの聖地に行くわけで、その点は興味深い。ロンドンは確かにロックの聖地でもあるわけで、イギリスは今や工業はほとんど存在しないが、各種のサービス業で成り立つ国になっており、旅行というのも重要な収入源になっている。実は旅行者を集めるためには、そこに何らかの意味、シンボル、コンテンツが必要なわけで、聖地となるのはそのためでもある。実を言うと、この話は日本有数の観光地である京都から、世界中でも旅行客の集まるロンドンへ行く話であり、ある意味は非常にメタな話ともなっているのである。
 第四に、テレビ版でもある程度示されていたが、さわ子先生の世代に比べてロックの位置付けが変化している点である。さわ子先生の場合は、やはりアナーキーな価値が背景にあるのだが、唯の時代にはほとんどそういったものは無くなっているのである。ロンドンがロックの聖地扱いになるのも、この点と関わっているだろう。すなわち、ロックバンドというのが普通に高校の部活として存在し、それほど特別でもない趣味の一つになってしまっていると言うことである。
 第五に、ロンドンに行く話ではあるが、グローバル化を反映しているものの、異文化コミュニケーション的な契機が乏しい点である。この点は、グローバリスト達からは、内向きな日本を反映しているなどと批判されそうだが、確かにそうではある。ただ、微妙なのが、二回ロンドンで演奏する場面があるのだが、一回目は別の日本人のバンドと間違えられてであり、もう一回は日本文化を紹介する催しの一環としてである。一回目の方は間違いではあるが、もはや日本のバンドが海外に呼ばれることは珍しくもない点を表しており、まさに世界がフラットになりつつあるとも言える。他方、日本文化の紹介はそもそもアニメ自体がそのようなコンテンツとして扱われているのとも同じである。結局のところ、日本が豊かになって、コンテンツを輸出するようになったのと、やはり、グローバル化の進展が大きいだろう。全体としては、コンテンツ、聖地といった問題を巡る話としても解釈できよう。