宇宙をかける少女


途中でスタッフが交代したりで、割と評判は必ずしも良くなかったが、個人的には結構、面白かった。とはいえ、話が迷走しすぎという感想が多かったのは確かである。ただ、迷走と言っても、全体のストーリーは未消化の伏線が多いということを除けば、意外に単純ですっきりした物になっていた。迷走と言っても、そもそもストーリー全体が、訳が分からないという場合が多いのだが、この場合は、全体的にはそれほどでもないが、1,2話単位では迷走していたという感じである。何で、そう言う印象を与えるのかというと、いくつかの話が平行で進んで、しかも、区切りが次に持ち越されるのが多いのと、もう一つは、主人公の秋葉が基本的に衝動的というか、考えなしで行動するからであろう。しかし、この点は、ある程度は、秋葉の自分探し的な面と絡んで、元々意図されていたようにも思われる。秋葉自信、特にやりたいことが無く、ふらふらしているわけで、となれば、その場の思いつきで行動することになろう。

しかし、何で、強烈な迷走感を与えることになってしまったのだろうか。それは、脚本自体の出来が特に前半は今一だったからであろうが、もう一つは、物語の外の要因としては、2009年に入ってから、日本の政治がずっと迷走しっぱなしだったので、妙にシンクロしてしまったのかもしれない。

SFとしては、それなりにありがちなネタなのだが、ブレインコロニーはそれなりに興味深い。人間が快適に思える「箱」に入って暮らすというアンチ・ユートピアは良くあるネタだが、さすがにそれだけではなく、もう少し捻ってある。すなわち、「箱」に入っている人間が増えると演算能力が増して、ブレイン・コロニーの力が増大するのである。全知全能的なコンピューターだか、システムが非常に快適な環境を提供するというのは、この手の話の定番であるが、この場合、何故提供するのかというと、その目的自体は結局、誰かに与えられたものに過ぎないわけで、その意味では当たり前と言えば当たり前だが、誰かが創り出したものと言うことになってしまう。ところが、ブレインコロニーの場合は、「箱」に収容する人間が増えると力が増す訳なので、強制的にでも、「箱」に入れる人間を増やそうとすることになり、ブレインコロニー自体の自立性、あるいは主体性が非常に強いと言うことになる。

ブレインコロニー自体の自立性はともかくとしても、このようなシステムというのは実は既に実現している、あるいはしつつある。それはいわゆるグリッドコンピューティングであり、余剰の計算能力を提供するメカニズムとなっている。ハードウェアとしては確かにこのように考えられるが、もう少し、拡張すると、今や、われわれはインターネットに繋がれて、何かを提供する面が強くなってきている。何を提供するのかと言えば、SETIのようなグリッドコンピューティングであれば、PCの余剰の計算能力であるし、あまり、提供しているようにも思えないが、そもそも、何かのサイトを見れば、PVとしてそのサイトの広告料に反映されているのである。これは最も消極的な例であるが、より能動的な物としては、SNSに参加すること自体が、その運営会社の広告収入、株価などに寄与することになる。さらに、CGMの類、ニコニコ動画に作品を発表すると言ったこともそうである。そうなると、既に、ブレインコロニーの提供する「箱」は、実際に存在するとも言えよう。それをどう批判できるのか、あるいは肯定しうるのかはまた、別の問題であろう。


感想を書こうと思っていたが、少し暇が出来たので、少し長めのを書いてみた。それに、コミケには落ちて、しかも委託先もないので、書くつもりだったネタを短めのバージョンで書いてみた。次回当選したら、他にネタがなければ、書き直して、出すかもしれない。